2012年 04月 11日
さて、これはなんでしょう?


解答は後ほど。
8日、日曜日の午前、大好きな墓場の花見をやってきました。谷中霊園です。


やはり、谷中は坊さんがいないと 道路の端にはイーゼルを立てる人が幾人も

午後は、浜松町南口改札口を出発点に、浜離宮→築地→佃島→お台場→新木場→葛西臨海公園→東京ディズニーランド→夢の島→東陽町→越中島→箱崎→茅場町→兜町→日本橋→三越前→日銀→大手町→九段下→後楽園→水道橋→お茶の水→秋葉原→浅草橋→柳橋→両国→蔵前→浅草→向島→南千住→北千住→銀座線浅草駅で終着。
以上、のんびり花見を楽しみながら、たった4時間で廻ってまいりました。
「はは~ん、さては...」 そう気がついた方は、エライ!!
浜崎橋→勝鬨橋→佃大橋→中央大橋→相生橋→春海橋→レインボーブリッジ→東京ゲートブリッジ→若洲橋→(舞浜大橋)→荒川海岸橋→新砂水門→夢の島大橋→永代橋→湊橋→茅場橋→兜橋→江戸橋→日本橋→呉服橋→常盤橋→一石橋→鎌倉橋→神田橋→錦橋→一ツ橋→俎橋→三崎橋→後楽橋→水道橋→お茶の水橋→聖橋→昌平橋→万世橋→和泉橋→美倉橋→浅草橋→柳橋→(両国橋)→蔵前橋→厩橋→駒形橋→吾妻橋→言問橋→桜橋→白鬚橋→水神大橋→千住大橋
こう並べればおわかりになるとおり、東京湾、隅田川、砂町南運河、荒川、江戸川、東雲東運河、豊洲運河、隅田川、日本橋川、神田川、隅田川と、舟で「橋巡り兼花見」をやってきました。他にも鉄道橋含めて全部で70基ぐらいくぐったらしい。なお、( )内は見ただけでくぐってません。
これは、ケムちゃんに紹介頂いた「土浦町歩き講座」の講師 高橋美江さんに紹介頂いた「勝鬨橋を上げる会」主催のイベントでした。彼女のツテで会員でもないのに潜り込めました。
橋梁工学の日大教授伊藤孝先生がワイアレスヘッドセットで4時間ブッ通しで丁寧に解説してくれました。天候に恵まれ、桜は満開、最高でした。隅田川で一番美しいと言われる清洲橋がくぐれなかったのだけが残念。
頂いた経路地図を説明と共に載せます。

①古川(船宿縄定)→②隅田川下流(勝鬨橋など)→③晴海運河(アーバンゲートブリッジなど)→④レインボー ブリッジ→⑤お台場沖→⑥中央防波堤→⑦東京ゲートブリッジ→⑧葛西臨海公園人工なぎさ→⑨荒 川河口橋→⑩夢の島→⑪日本橋川→⑫神田川→⑬隅田川(桜堤など)→⑭吾妻橋簡易船着場にて下船
先ほどの絵ですが、1枚目は、下から見上げたかちどき橋の真ん中の継ぎ目。ここから二つに割れて上がります。 2枚目は、常盤橋ではないJRの橋脚に映った日本橋川の波のきらめき。
わかるわけないって? ごもっとも。
では、ガンガン行きます。
浜松町の船宿 『縄定』 が出発点。左となりの船宿 『はしや』 の親父は釣りで散々世話になった顔なじみ。 「おや?久しぶり 今日は?」 「いや、なに..」モゴモゴ

築地魚市場 老朽化対策の豊洲移転で揉めてる。

勝鬨橋 これは今回特に大事ですので二枚ほど


築地聖路加国際病院 船が揺れた。

佃島 佃煮の店々

佃の桜

佃 大川端リバーシティ

左から 新月島公園グランド 小野田生コン工場
そして いい加減飽きてきたどこからでも見えるコイツ

『ららぽーと豊洲・アーバンゲートブリッジ』 水上バスの船着場
船尾が見えてるのは 松本零士デザインの水上バス 『ヒミコ』

こんな舟 船内では鉄郎とメーテル、車掌さんが案内をしてくれるそうな。
山猫庵さんのブログから映像拝借

建設中の首都高10号晴海線の橋脚

晴海埠頭 晴海客船ターミナル 郵船の豪華客船 『飛鳥Ⅱ』 もここから出るとのこと。
庶民には縁がない施設か.. 左にてっぺんちょん切り工事中の東京タワー

レインボーブリッジ あまり見た目が良くないのは、船の通行の便のために橋脚間を開けすぎたから、と伊藤先生の説明でした。
本当は、1:2:1が理想で、瀬戸大橋などはコレになってるそうな。
前を走るのはこれまたTOKYO CRUISE(東京都観光汽船)の水上バスの 『ジュビリー』

芝浦埠頭のガントリークレーンを背景に奇怪な船が..

これもTOKYO CRUISEの、御座船 『安宅丸』 宴会もOKとのこと。帆はスカスカの網
他にもいろんな水上バスがあるそうです。

レインボーブリッジをくぐります。


お台場 『フジテレビ』
丹下健三デザイン 都庁と同様 "??" なデザイン 伊藤先生もムムム..

お台場 『自由の女神』 のお尻 フランス製のフランス政府公認 しかし...

『ホテル日航東京』

笹川良一の 『船の科学館』
左のブックエンドの親分みたいのは 首都高海底トンネルの排気塔

水産庁 漁業取締船 『白竜丸』 『東光丸』 右の赤くて小さいのはあの南極観測船
『宗谷』 ほんとに小さい

青海埠頭のコンテナ船と羽田に向かう旅客機

中央防波堤(埋立地)の間を抜け いよいよ 東京ゲートブリッジ

これは真ん中のつなぎ目

三題噺 『橋と旅客機とトレンチの女』

東京都立若洲ヨット訓練所

葛西海浜公園人工渚の凧

お散歩 旅客機 ゲートブリッジ 風力発電

葛西臨海水族園 円いのはマグロの回遊水槽のドーム

ごぞんじ 東京ディズニーランド

江東区を浸水から護る 『新砂水門』

水門の巨大なちょうつがい


水上のガソリンスタンド トイレ付き

東京海洋大学(旧商船大) 重要文化財帆付汽船 『明治丸』
在りし日の姿 (東京海洋大のHPから)

金が無くてこの現況と 伊藤先生嘆きける

永代橋
河口から上って最初の橋を第一橋梁と言い、特に景観に配慮をするそうな。
永代橋は建設当時は正にその第一橋梁、第二は清洲橋でどちらも美しい。

清洲橋は今回くぐりませんでした。これは三年前、万年橋の芭蕉旧居跡からの撮影です。

船は、左折して隅田川から日本橋川に入りました。
豊海橋
隅田川から入ってすぐの日本橋川第一橋梁 やはり第一橋梁はそれなりに立派です。

湊 橋
タイルで化粧したけど、金と手を抜いたので干潮時にはタイルなしの馬脚を現し、みっともないことになったと先生。

茅場橋
昔 茅商人が多く住んでいた茅場町と小網町の間に架かる橋

兜町の東京証券取引所と鎧橋
シャレになってますなあ~ シャレではなく 昔 ここに 『鎧の渡し』 があったからだそうです。兜・鎧の由来は、源義家か頼義か将門かが沼地だったこの辺りに鎧と兜を納めたからだとか。

江戸橋
江戸橋ジャンクションがあるのでこの橋は大きい。

いよいよ来ました お江戸 『日本橋』 本当に美しく立派な橋です。蓋をしたのがなんとも悔やまれます。



橋の外側のライオンのレリーフ 船からの景観を大事にしてるんですね。

日本橋は、芯まで石と煉瓦の無垢だそうです。先頃の補修で始めてわかったと又々先生。
西河岸橋
日本橋魚河岸の西だから西河岸

一石橋
両岸にそれぞれ後藤さんがいたから、五斗+五斗で一石。

常盤橋
名前は すぐ隣の江戸城常磐橋御門から
詩人木下杢太郎(太田正雄)の実兄にして 関東大震災後の帝都復興院の土木局長 太田圓三の設計。圓三は、天才設計家とうたわれ 永代橋・清洲橋はじめ100以上の橋の設計や昭和通り、靖国通りの新設など都市計画に才能を発揮し、近代都市東京の基礎を築きました。
弟同様、優れた美的感覚の持ち主で、設計にあたっては広く芸術家の意見も取り入れ、景観に十分に配慮したとのこと。しかし、その繊細な神経故か45歳で自ら命を絶ちました。

常磐橋と日銀本店

こちらもおなじ「ときわばし」ですが、こちらは割れない石の方
明治十年建設日本橋川最古(東京最古かも)の橋で老朽化が激しく 人だけが通れる橋

JR神田東京駅間の橋
実に堅固な造り 関東大震災にもビクともしなかったそうです。

神田橋
神田錦町と大手町の間に架かる橋

錦橋
錦町河岸に架かる橋

一ツ橋
一橋大学の前身 東京商大はここにあった。

雉橋
江戸時代幕府の雉小屋があったそうな。養鶏場の走り? 九段・一ツ橋間

宝田橋
宝田村の橋 神保町・九段間

俎橋
最初は俎二枚のような粗末な橋だったとのこと 神保町・九段間
舳先でマイクと資料持っているフードの方が伊藤教授

南掘留橋
上流の北側には掘留橋 アタリマエカ.. 西神田・飯田橋間

新川橋 明治時代に掘留で分断されていた日本橋川と神田川を新しく川を掘って結びました。その新川の橋

飯田橋の 『アイガーデンテラス』 他の新築ビル群と桜
今回のメンバーは老若男女じつに様々 ただ、学者・学生風が多かったように思いました。

新三崎橋
三崎町・飯田橋間の橋

右がJR中央線 左が三崎橋
ここで日本橋川は終わり、船は右折して神田川を下ります。

呉服橋、鎌倉橋など撮影が間に合わなかった橋も4基ぐらい、いつか次の機会に。
神田川に入りました。
後楽橋
水戸藩邸の庭園 小石川後楽園のそばの橋 橋の建築屋には大変興味深い設計だそうです。

水道橋
江戸時代、この橋から、神田川をまたいでいた神田上水の懸樋が見えたことから、水道橋と呼ばれたそうです。

お茶の水渓谷
神田川のこのあたりは秀忠の時代に切り通した人口の谷です。

お茶の水橋
この橋の右手、中央線がくぐる南詰には学生時代の懐かしい思い出の詰まっている橋。
といったものの、さてそんなのあったかなあ??

聖橋
左岸には孔子の湯島聖堂、右岸にはギリシャ正教のニコライ堂 それで聖橋

この橋の本体、実は鉄橋。

地下鉄丸の内線の橋
結構景観にもこだわったような橋です。

昌平橋
昌平廣(昌平坂学問所)にちなみます。橋も橋からの景観もなかなかのものがあります。
好きな橋。

万世橋と旧甲武鉄道の万世橋駅跡
この元駅舎は数年前まで交通博物館でした。
川からの景観を大事にした建築で、舟運の盛んだった時代が偲ばれます。
正面に見えるのが万世橋

柳森神社
秋葉原のJRの線路をくぐるとすぐ右手 結構雰囲気のある神社。
以前ここで撮った面白い狸の写真があったはずなのですが、見つからない。

和泉橋
江戸時代、伊勢藩主藤堂和泉守の上屋敷が近くにあったそうです。
秋葉原のヨドバシカメラは左手すぐ近く

美倉橋
江戸の昔、この辺は米問屋の倉地で、三つの倉町があったことから、三倉町とよばれ、
明治に入って三が美に

左衛門橋
庄内藩主酒井左衛門の大名屋敷が橋の側にあったそうです。

浅草橋
浅草見附跡の橋 総武線浅草橋駅はすぐ左

柳橋
神田川第一橋梁 ここから万世橋まで柳の土手が続いていたそうです。かつての花柳界も今は消え、佃煮で知られる船宿になごりを残すだけになりました。

隅田川に戻りました。上ります。 有名な橋ばかりなので説明は手抜き
両国橋

蔵前橋

厩橋
三連のアーチ橋ですが、左端が欠けた。


駒形橋が抜けました。
吾妻橋
隅田川に身を投げて心中しようとする二人。説得をあきらめ呆然と川面を見つめる小母さん。落ちたらすぐ助けようと船足を速める屋形船。左には取材のTVカメラ。
以上真っ赤なウソ

言問橋
「名にし負わば いざ言問わん都鳥 我が思う人は ありやなしやと」
わたしゃ花より言問い団子

向島墨堤の花見
文字通り ♪春もうららの隅田川~

白鬚橋
千住方向から下ってくれば、第一橋梁にあたります。男性的な美しい橋。ここからの逆さツリーがいいらしい。

ふたたび三題噺 スカイツリー 白鬚橋 トレンチの女子カメラ

水神大橋
鐘ヶ淵 ニールセンローゼ橋というアーチに斜めにケーブルを張ったスッキリしたデザインの橋 最近はやりとか

南千住汐入の再開発で高層アパート群と公園に生まれ変わった街
再開発前に一度行きたかった昭和の残っていた町 今は面影すらない。

綾瀬橋
隅田川左岸、鐘ヶ淵にある旧綾瀬川の第一橋梁 この橋をくぐると水門を通ってすぐ荒川に出ます。そこは堀切です。

常磐線隅田川橋梁
40年くらい前はここを渡るとき臭いがひどくて慌てて列車の窓を閉めましたが、今はすっかりきれいになりました。

千住大橋
やっと来ました本日最後の橋 日光街道千住大橋 もう少しで隅田川も終わりです。


橋のたもとには、松尾芭蕉 『奥の細道』 の冒頭
「千じゆと云所にて船をあがれば 前途三千里のおもひ胸にふさがりて 幻のちまたに離別の泪をそゝぐ 行春や鳥啼魚の目は泪 」

浅草 隅田公園
陽も陰ってきました。 よい子の花見はそろそろおしまい。

おまけです

以上ながのおつきあい深謝します。
引用文献『江戸歴史クルーズ』縄定 日大伊藤教授のご説明他
by Mitzi


解答は後ほど。
8日、日曜日の午前、大好きな墓場の花見をやってきました。谷中霊園です。


やはり、谷中は坊さんがいないと 道路の端にはイーゼルを立てる人が幾人も

午後は、浜松町南口改札口を出発点に、浜離宮→築地→佃島→お台場→新木場→葛西臨海公園→東京ディズニーランド→夢の島→東陽町→越中島→箱崎→茅場町→兜町→日本橋→三越前→日銀→大手町→九段下→後楽園→水道橋→お茶の水→秋葉原→浅草橋→柳橋→両国→蔵前→浅草→向島→南千住→北千住→銀座線浅草駅で終着。
以上、のんびり花見を楽しみながら、たった4時間で廻ってまいりました。
「はは~ん、さては...」 そう気がついた方は、エライ!!
浜崎橋→勝鬨橋→佃大橋→中央大橋→相生橋→春海橋→レインボーブリッジ→東京ゲートブリッジ→若洲橋→(舞浜大橋)→荒川海岸橋→新砂水門→夢の島大橋→永代橋→湊橋→茅場橋→兜橋→江戸橋→日本橋→呉服橋→常盤橋→一石橋→鎌倉橋→神田橋→錦橋→一ツ橋→俎橋→三崎橋→後楽橋→水道橋→お茶の水橋→聖橋→昌平橋→万世橋→和泉橋→美倉橋→浅草橋→柳橋→(両国橋)→蔵前橋→厩橋→駒形橋→吾妻橋→言問橋→桜橋→白鬚橋→水神大橋→千住大橋
こう並べればおわかりになるとおり、東京湾、隅田川、砂町南運河、荒川、江戸川、東雲東運河、豊洲運河、隅田川、日本橋川、神田川、隅田川と、舟で「橋巡り兼花見」をやってきました。他にも鉄道橋含めて全部で70基ぐらいくぐったらしい。なお、( )内は見ただけでくぐってません。
これは、ケムちゃんに紹介頂いた「土浦町歩き講座」の講師 高橋美江さんに紹介頂いた「勝鬨橋を上げる会」主催のイベントでした。彼女のツテで会員でもないのに潜り込めました。
橋梁工学の日大教授伊藤孝先生がワイアレスヘッドセットで4時間ブッ通しで丁寧に解説してくれました。天候に恵まれ、桜は満開、最高でした。隅田川で一番美しいと言われる清洲橋がくぐれなかったのだけが残念。
頂いた経路地図を説明と共に載せます。

①古川(船宿縄定)→②隅田川下流(勝鬨橋など)→③晴海運河(アーバンゲートブリッジなど)→④レインボー ブリッジ→⑤お台場沖→⑥中央防波堤→⑦東京ゲートブリッジ→⑧葛西臨海公園人工なぎさ→⑨荒 川河口橋→⑩夢の島→⑪日本橋川→⑫神田川→⑬隅田川(桜堤など)→⑭吾妻橋簡易船着場にて下船
先ほどの絵ですが、1枚目は、下から見上げたかちどき橋の真ん中の継ぎ目。ここから二つに割れて上がります。 2枚目は、常盤橋ではないJRの橋脚に映った日本橋川の波のきらめき。
わかるわけないって? ごもっとも。
では、ガンガン行きます。
浜松町の船宿 『縄定』 が出発点。左となりの船宿 『はしや』 の親父は釣りで散々世話になった顔なじみ。 「おや?久しぶり 今日は?」 「いや、なに..」モゴモゴ

築地魚市場 老朽化対策の豊洲移転で揉めてる。

勝鬨橋 これは今回特に大事ですので二枚ほど


築地聖路加国際病院 船が揺れた。

佃島 佃煮の店々

佃の桜

佃 大川端リバーシティ

左から 新月島公園グランド 小野田生コン工場
そして いい加減飽きてきたどこからでも見えるコイツ

『ららぽーと豊洲・アーバンゲートブリッジ』 水上バスの船着場
船尾が見えてるのは 松本零士デザインの水上バス 『ヒミコ』

こんな舟 船内では鉄郎とメーテル、車掌さんが案内をしてくれるそうな。
山猫庵さんのブログから映像拝借

建設中の首都高10号晴海線の橋脚

晴海埠頭 晴海客船ターミナル 郵船の豪華客船 『飛鳥Ⅱ』 もここから出るとのこと。
庶民には縁がない施設か.. 左にてっぺんちょん切り工事中の東京タワー

レインボーブリッジ あまり見た目が良くないのは、船の通行の便のために橋脚間を開けすぎたから、と伊藤先生の説明でした。
本当は、1:2:1が理想で、瀬戸大橋などはコレになってるそうな。
前を走るのはこれまたTOKYO CRUISE(東京都観光汽船)の水上バスの 『ジュビリー』

芝浦埠頭のガントリークレーンを背景に奇怪な船が..

これもTOKYO CRUISEの、御座船 『安宅丸』 宴会もOKとのこと。帆はスカスカの網
他にもいろんな水上バスがあるそうです。

レインボーブリッジをくぐります。


お台場 『フジテレビ』
丹下健三デザイン 都庁と同様 "??" なデザイン 伊藤先生もムムム..

お台場 『自由の女神』 のお尻 フランス製のフランス政府公認 しかし...

『ホテル日航東京』

笹川良一の 『船の科学館』
左のブックエンドの親分みたいのは 首都高海底トンネルの排気塔

水産庁 漁業取締船 『白竜丸』 『東光丸』 右の赤くて小さいのはあの南極観測船
『宗谷』 ほんとに小さい

青海埠頭のコンテナ船と羽田に向かう旅客機

中央防波堤(埋立地)の間を抜け いよいよ 東京ゲートブリッジ

これは真ん中のつなぎ目

三題噺 『橋と旅客機とトレンチの女』

東京都立若洲ヨット訓練所

葛西海浜公園人工渚の凧

お散歩 旅客機 ゲートブリッジ 風力発電

葛西臨海水族園 円いのはマグロの回遊水槽のドーム

ごぞんじ 東京ディズニーランド

江東区を浸水から護る 『新砂水門』

水門の巨大なちょうつがい


水上のガソリンスタンド トイレ付き

東京海洋大学(旧商船大) 重要文化財帆付汽船 『明治丸』
在りし日の姿 (東京海洋大のHPから)

金が無くてこの現況と 伊藤先生嘆きける

永代橋
河口から上って最初の橋を第一橋梁と言い、特に景観に配慮をするそうな。
永代橋は建設当時は正にその第一橋梁、第二は清洲橋でどちらも美しい。

清洲橋は今回くぐりませんでした。これは三年前、万年橋の芭蕉旧居跡からの撮影です。

船は、左折して隅田川から日本橋川に入りました。
豊海橋
隅田川から入ってすぐの日本橋川第一橋梁 やはり第一橋梁はそれなりに立派です。

湊 橋
タイルで化粧したけど、金と手を抜いたので干潮時にはタイルなしの馬脚を現し、みっともないことになったと先生。

茅場橋
昔 茅商人が多く住んでいた茅場町と小網町の間に架かる橋

兜町の東京証券取引所と鎧橋
シャレになってますなあ~ シャレではなく 昔 ここに 『鎧の渡し』 があったからだそうです。兜・鎧の由来は、源義家か頼義か将門かが沼地だったこの辺りに鎧と兜を納めたからだとか。

江戸橋
江戸橋ジャンクションがあるのでこの橋は大きい。

いよいよ来ました お江戸 『日本橋』 本当に美しく立派な橋です。蓋をしたのがなんとも悔やまれます。



橋の外側のライオンのレリーフ 船からの景観を大事にしてるんですね。

日本橋は、芯まで石と煉瓦の無垢だそうです。先頃の補修で始めてわかったと又々先生。
西河岸橋
日本橋魚河岸の西だから西河岸

一石橋
両岸にそれぞれ後藤さんがいたから、五斗+五斗で一石。

常盤橋
名前は すぐ隣の江戸城常磐橋御門から
詩人木下杢太郎(太田正雄)の実兄にして 関東大震災後の帝都復興院の土木局長 太田圓三の設計。圓三は、天才設計家とうたわれ 永代橋・清洲橋はじめ100以上の橋の設計や昭和通り、靖国通りの新設など都市計画に才能を発揮し、近代都市東京の基礎を築きました。
弟同様、優れた美的感覚の持ち主で、設計にあたっては広く芸術家の意見も取り入れ、景観に十分に配慮したとのこと。しかし、その繊細な神経故か45歳で自ら命を絶ちました。

常磐橋と日銀本店

こちらもおなじ「ときわばし」ですが、こちらは割れない石の方
明治十年建設日本橋川最古(東京最古かも)の橋で老朽化が激しく 人だけが通れる橋

JR神田東京駅間の橋
実に堅固な造り 関東大震災にもビクともしなかったそうです。

神田橋
神田錦町と大手町の間に架かる橋

錦橋
錦町河岸に架かる橋

一ツ橋
一橋大学の前身 東京商大はここにあった。

雉橋
江戸時代幕府の雉小屋があったそうな。養鶏場の走り? 九段・一ツ橋間

宝田橋
宝田村の橋 神保町・九段間

俎橋
最初は俎二枚のような粗末な橋だったとのこと 神保町・九段間
舳先でマイクと資料持っているフードの方が伊藤教授

南掘留橋
上流の北側には掘留橋 アタリマエカ.. 西神田・飯田橋間

新川橋 明治時代に掘留で分断されていた日本橋川と神田川を新しく川を掘って結びました。その新川の橋

飯田橋の 『アイガーデンテラス』 他の新築ビル群と桜
今回のメンバーは老若男女じつに様々 ただ、学者・学生風が多かったように思いました。

新三崎橋
三崎町・飯田橋間の橋

右がJR中央線 左が三崎橋
ここで日本橋川は終わり、船は右折して神田川を下ります。

呉服橋、鎌倉橋など撮影が間に合わなかった橋も4基ぐらい、いつか次の機会に。
神田川に入りました。
後楽橋
水戸藩邸の庭園 小石川後楽園のそばの橋 橋の建築屋には大変興味深い設計だそうです。

水道橋
江戸時代、この橋から、神田川をまたいでいた神田上水の懸樋が見えたことから、水道橋と呼ばれたそうです。

お茶の水渓谷
神田川のこのあたりは秀忠の時代に切り通した人口の谷です。

お茶の水橋
この橋の右手、中央線がくぐる南詰には学生時代の懐かしい思い出の詰まっている橋。
といったものの、さてそんなのあったかなあ??

聖橋
左岸には孔子の湯島聖堂、右岸にはギリシャ正教のニコライ堂 それで聖橋

この橋の本体、実は鉄橋。

地下鉄丸の内線の橋
結構景観にもこだわったような橋です。

昌平橋
昌平廣(昌平坂学問所)にちなみます。橋も橋からの景観もなかなかのものがあります。
好きな橋。

万世橋と旧甲武鉄道の万世橋駅跡
この元駅舎は数年前まで交通博物館でした。
川からの景観を大事にした建築で、舟運の盛んだった時代が偲ばれます。
正面に見えるのが万世橋

柳森神社
秋葉原のJRの線路をくぐるとすぐ右手 結構雰囲気のある神社。
以前ここで撮った面白い狸の写真があったはずなのですが、見つからない。

和泉橋
江戸時代、伊勢藩主藤堂和泉守の上屋敷が近くにあったそうです。
秋葉原のヨドバシカメラは左手すぐ近く

美倉橋
江戸の昔、この辺は米問屋の倉地で、三つの倉町があったことから、三倉町とよばれ、
明治に入って三が美に

左衛門橋
庄内藩主酒井左衛門の大名屋敷が橋の側にあったそうです。

浅草橋
浅草見附跡の橋 総武線浅草橋駅はすぐ左

柳橋
神田川第一橋梁 ここから万世橋まで柳の土手が続いていたそうです。かつての花柳界も今は消え、佃煮で知られる船宿になごりを残すだけになりました。

隅田川に戻りました。上ります。 有名な橋ばかりなので説明は手抜き
両国橋

蔵前橋

厩橋
三連のアーチ橋ですが、左端が欠けた。


駒形橋が抜けました。
吾妻橋
隅田川に身を投げて心中しようとする二人。説得をあきらめ呆然と川面を見つめる小母さん。落ちたらすぐ助けようと船足を速める屋形船。左には取材のTVカメラ。
以上真っ赤なウソ

言問橋
「名にし負わば いざ言問わん都鳥 我が思う人は ありやなしやと」
わたしゃ花より言問い団子

向島墨堤の花見
文字通り ♪春もうららの隅田川~

白鬚橋
千住方向から下ってくれば、第一橋梁にあたります。男性的な美しい橋。ここからの逆さツリーがいいらしい。

ふたたび三題噺 スカイツリー 白鬚橋 トレンチの女子カメラ

水神大橋
鐘ヶ淵 ニールセンローゼ橋というアーチに斜めにケーブルを張ったスッキリしたデザインの橋 最近はやりとか

南千住汐入の再開発で高層アパート群と公園に生まれ変わった街
再開発前に一度行きたかった昭和の残っていた町 今は面影すらない。

綾瀬橋
隅田川左岸、鐘ヶ淵にある旧綾瀬川の第一橋梁 この橋をくぐると水門を通ってすぐ荒川に出ます。そこは堀切です。

常磐線隅田川橋梁
40年くらい前はここを渡るとき臭いがひどくて慌てて列車の窓を閉めましたが、今はすっかりきれいになりました。

千住大橋
やっと来ました本日最後の橋 日光街道千住大橋 もう少しで隅田川も終わりです。


橋のたもとには、松尾芭蕉 『奥の細道』 の冒頭
「千じゆと云所にて船をあがれば 前途三千里のおもひ胸にふさがりて 幻のちまたに離別の泪をそゝぐ 行春や鳥啼魚の目は泪 」

浅草 隅田公園
陽も陰ってきました。 よい子の花見はそろそろおしまい。

おまけです

以上ながのおつきあい深謝します。
引用文献『江戸歴史クルーズ』縄定 日大伊藤教授のご説明他
by Mitzi



















































